keiri’s diary

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いわき市8/11訪問記 #99japan @m_keiri

いわき市湯本二中さん、グローバルミッションさんへの物資支援要請の代弁活動をさせていただいており、沢山の方からのご協力をいただき有難うございます。
■グローバルミッションさんへの物資要請:http://twitforyou.org/register/view.php?id=756
■湯本二中さんへの物資要請: http://twitforyou.org/register/view.php?id=742
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遅くなりました。8/11 いわき市 湯本二中さん、グローバルミッションさんを訪ねてきましたので掲載します。


◆am8時〜 :都内中央区で @let_sgo さんとお会いし、支援物資(ペットボトル2L4ケース、扇風機1台、掃除機中古1台)をお預かりしました。@let_sgo さんは暇を見つけていわき市にボランティア活動(泥かきetc)に行っておられるとのことで頭が下がる想いがしました。いわき市へのアクセスの手解き、「災害派遣等従事車両証明書」取得法などのレクチャーもいただきました。 @let_sgo さん有難うございました。
  


◆上記に引続き :都内中央区で レスキュージャパン・アジアの @TakiChai さんからの支援物資(紙オムツ−各サイズ×6〜8箱、赤ちゃんのおしりふき×8箱、スポーツTシャツ×約20着、等)をお預かりしました。 @TakiChai さんはレスキュージャパン・アジアさんは震災石巻気仙沼他、幅広い地域への物資等の支援活動をなされているNPOさん。先月、先々月にもトラック自達でグローバルミッションさんへ届けていただきました。 @TakiChai さん有難うございました。
  


いわき市への移動 : 銀座ICから首都高→常磐道にていわき湯本IC下車。特段の混雑も無く、私のハイエースは最高速が低めですが^^;、何とか3時間かからない位で湯本に到着。
   


◆pm13時過ぎ〜16:50:湯本二中さん訪問
   
震災後、3/26にコンタクトを取り始めて以降、ずっと今まで電話連絡で試行錯誤しながら物資募集の連携を取らせて頂いてきた澤井校長先生との初対面はグッと来るものがありました。まずは澤井校長先生から、「お願いタイガー掲示板、ツイットフォーユー掲示板での支援をいただいた皆さんに、どれだけ支えられたか、言葉には言い表せない位で。本当に有難うございます。」

挨拶をし、物資をお届けしました。( @let_sgo さんからの上記物資と私の室内物干し竿×4セット)
  
そして澤井校長先生には、311震災以降の避難所生活の振り返りから、現状までしっかり話をお聞きすることができました。


<振り返り(澤井校長先生談)>
・3/12 湯本二中への避難者20名。「明日、375人の避難者が入るから準備を」との連絡が!テレビでは気仙沼などの報道のみだったためいわき市周辺で津波被害が起きているか等全く知らなかったため、何が起きたのか?という心境だったそうです。
・3/13 273名の避難者受入れ
・3/14 3号機水素爆発
・3/15 210人の避難者が、水素爆発情報から3/16に120人に。避難者を体育館から教室へ。避難所運営自治会の設立、一人一役(幼児にも)、避難者自身での避難所運営へと誘導。
・3/30 「4/6に中学校入学式を」との市からの指示。出来る状況ではない、校長会で議論する前に、との反論も通らず。
・4/6 入学式開式。来賓は父兄、自衛隊、ボランティア入りされている方々、避難所で生活されている方々。
・その後、各自で一次住宅への移動、市からの提供住宅への移動で、5/25に避難所としての役目を終えた。
※皆さんから支援いただいた物資は、避難所の湯本二中のみならず近郊の避難所、自宅避難者(こちらが特に深刻であった、震災以降しばらくお風呂の水を飲んで過ごしたお婆さんも)や相互協力関係を築いたところ(遠くは岩手)へとシェアしてきた。


現在&これから(澤井校長先生談)>
・「仮設住宅」はいわゆるプレハブで、高温となりまた地面からの高さも低く湿度も高い。
・「仮設住宅」と一言で言っても建てた時期やどういうルートで建てたか等から、そのレベル格差が大きい。
・自主的に他県等に避難しいわき市に戻ってくる人もまだ多く、生活の基礎物資が不足している。そうした中、継続して物資を集めている。布団は大きさや金額面から(私、宮田への)ネット募集は控えている。

・一次住宅への分散後の問題点や困りごとについて、把握できているのは湯本二中への避難者で継続連絡、フォローをとっている方や、近隣協力関係にあるところ(グローバルミッションさん等)伝いで入る所のみ。
・「災害対策本部」は実際は市と直接関係を持つ組織ではない。このため市の持ちえているであろう情報(福祉課での一次提供住宅の入居リストなど)は共有されていない。
・一次提供住宅分散後の情報集約について模索、誘導しようとしているが、うまくいっていない。
・一次提供住宅分散後のこれからのコミュニティ維持活動として、同じ人(ボランティアさん等)が同じ所に、ある一定期間(少なくとも3ヶ月以上)の訪問で、人間関係を作っていくことが望ましい。こういったことを廻していくために、いわき市にいるボランティアさんを支える支援をお願いしたい。

・(私から「この後中央台を訪れ、応援すっぺ!いわき!!メンバーさんと合流し、仮設住宅を訪ねようと考えています」とお話したことについて。)
→中央台など、仮設などで物資でお困りの方もいらっしゃる場合、ぜひ私に声がけください。今は布団が70セットほど余力があります。その他もニーズがあれば検討したい。
・(私から「心のとしょかん」設置のご提案をさせていただいたことについて。)
→一次住宅への訪問&フォロー活動をされているグローバルミッションさんにその話を入れ、ニーズ確認をしていきましょう。《澤井校長先生との調整の末、本日私がグローバルミッションさんも訪ねるので、その時に話をすることとしました》


<避難所生活を営んだ校舎を拝見>
・校舎内、避難者が生活されていた教室
   

・校舎内、避難者が生活されていた教室、調理室
    

・校舎内、澤井校長先生で調達された布団など保管中物資
   

・支援いただいた物資の伝票保管(いわき市にお住まいでブログやツイッター、その他手段で物資要請、そして勿論、私宮田のタイガー掲示板、ツイットフォーユー掲示板での物資要請で送っていただいた物資の伝票保管簿です!時間が許せば、一枚一枚、届いたときの思いを話をされたい、そんな澤井校長先生の気持ちを感じました。なお一番上に見える宅配伝票の発送者欄は、プライバシー保護のため読めないよう画像加工して掲載しています。)
  
・トピックス。他の避難所で震災後の炊出しが入ったが食べるお箸がない!→竹で作ったお箸。
  
・澤井校長先生と。
  

最後に「災害派遣等従事車両証明書」取得について澤井校長先生にご相談、澤井校長先生から合同庁舎への直談判もしていただいての書類作成をしていただきました。(澤井校長先生、帰り際にすみません!)


◆夕刻 :いわき市中央台で、応援すっぺ!いわき!!のメンバーさんと合流し仮設住宅を訪れる計画でしたが、私の時間読みの悪さから都合合わずで未訪問(ごめんなさい!)。


◆pm17時過ぎ〜:いわき市合同庁舎で「災害派遣等従事車両証明書」取得手続き。


◆pm17:50〜20:15 :いわき市グローバルミッションさん訪問
  
物資(紙オムツ多数、他)お届け。多量の物資でしたが、グローバル・スタッフさん、グローバルにボランティア入りされている方々の力をかり、一気に搬入できました。
     

物資担当の林さんはもちろん、仮設住宅への訪問、フォロー活動をなさっている蛭田さん、グローバル・スタッフさん、グローバルにボランティア入りされている方々(総勢8名ほど)と話ができました。夕食までもグローバルさんで共同生活されているボランティアさん&スタッフさんにお呼ばれしてしまい(^^ゞ


<お聞きした主な話>
・市からの物資配給も終えた今、物資を求めてくる人は多い日で1日50名程も。状況と要望物資をA4用紙に記入、お話を聞いて、物資の提供、予約の対応実施《林さん談》
・今日の訪問者で「震災から四ヶ月、車で寝泊まり。ようやく住まいを見つけ、新生活を始めるので」と物資を求めて見えた夫婦あり。《林さん談》
・かつて避難所があった頃のフォロー者など伝いでの繋がり先を訪問活動している。訪問活動も人間関係構築が無いと成り立たない。《蛭田さん談》→補足:グローバルから仮設訪問は蛭田さん&Simmyさんの1ペアのみ。Simmyさんは昨今、心労から静養中とのことで現在は蛭田さん一人。
・「移動カフェ」を立上げたいと話を進めている。仮設住宅訪問活動で手一杯でなかなか進んでいない 《蛭田さん談》

原発での避難指示地区からいわき市へ避難してきた。家屋の損壊もないが職を失い一時帰宅でも極限られたものしか持って来れず。職の復帰の展望も見えず。しかし家屋や家族を失った人も多い環境での生活では自分の境遇を話しにくい。 《グローバルにボランティア入りされている、楢葉や広野からいわき市へ避難されてきた方の話。こういった心労は相当なものではないかと感じました。》
・元とは違う今の仮設生活で多少の不自由でも出費を抑える生活を過ごしてきたから、物資として何が困っているか?と聞かれても案外思いつかない。《同上》
・仮設生活で家電6点セット寄付はいただいたが家具が無い。立派なものでなくて構わない。ホームセンターにあるカラーBOXのようなもの、簡易テーブル、湿気取りグッズ(水取りぞうさん、等)を支援いただけるなら、生活がしやすくなると思う。《同上》
・自主的に他県の親類等に避難しいわき市に戻ってくる人もまだ多く、仮設住宅も今建設中のところもあり、生活必要品はどんなものでもまだこれからニーズがある。《同上》
・(自主避難された方がいわきに戻り一次住宅等で新生活される方に、包丁、まな板セットのようなもの、食器類はニーズがありますか?と私から訪ねたところ →必要であり支援していただけるなら嬉しい。《同上》
・ともかく先が見えないのが辛い。放射能問題は良くなるのか。職は復帰できるのか。仮設での生活はいつまで続くのか。給付金は今後いつ、どれ位でるのか。(出方がスポットであるため計画的なお金の使い方ができない。) 《同上》

※「心のとしょかん」の件はお話を入れる予定だったグローバルのSimmyさんが心労から長期静養中で本日ご不在。また蛭田さんがその代わりに話を入れる適任者でしたが、話を入れそびれました。後日電話連絡で進めます。


◆21時〜:いわき市豊間、小名浜、勿来の海周辺の視察
津波被害の状況をどうしても目に焼き付けておきたく、こちらに訪れてみましたが、夜ということもあり震災形跡が残るところへの行き方のよくわからずで見ることはできませんでした。所々道もでこぼこで通行禁止の看板はあり。こちらは下調べ不足でした。


◆まとめ
澤井校長先生、林さん、蛭田さん、ボランティアさん、原発近郊から避難されてきた方の話を聞け、とても勉強させていただきました。たった半日ほどの訪問につき、上記のレポートも極一部ではありますが、被災の状況、人々の困難は百人百様であると感じました。
根を深くしているのは、原発による二次災害の「先が見えないこと」。 事の前進の足かせになっているのは「一次住宅分散後の情報集約の困難さ」ではないかと感じました。
そのうえで我々ができること、「事実を、困難を、その声をあげていくこと」「繋げていくこと」ではないでしょうか。
私は横浜在住ゆえ、いくら今の活動をしているとはいえ、震災地での問題に対するあるべき論、市や行政の批判などすべきではないと考えています。お聞きしたことを書き留めるのみ。(例えば市の職員さん、地域行政さん自身も被災されている方であったり、考えや言い分もあると思われ、私が一方かたお聞きしたことを書き留めること自体も躊躇しますが、そこにお住まいの市民さんの声として事実と判断し、なるべく表現を丸めて掲載しています。)
ただし震災地の方には、その苦労の元の生活。よって声にして打上げてよいのだと思います。どんどん声にしてほしい。(実行されていることとは思いますが。)
私は、私の出来ることとして「物資募集要請や繋げていくこと」を継続していきたいと思います。

乱文にて、失礼しました。
いつもご協力いただける皆さん、ここをお読みいただいた皆さん、一人ひとりの、一つ一つの支援が、気持ちが支えになっていることを今日の訪問で実感するとともに、今回の訪問を無事終えることができました。いつも有難うございます!


◆関連WEB
レスキュージャパン・アジア
 http://www.rescuejapan.asia/
レスキュージャパン・アジア支援記録
 http://rescuejapanintel.wordpress.com/
応援すっぺ!いわき!!
 http://yell-iwaki.com/blog/index.html