keiri’s diary

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク 談話会に参加して

本日、ドイツ生まれのダイアログ・イン・ザ・ダークを日本へ導き、開催、運営に関わっておられる金井真介さん、志村季世恵さん、檜山晃さんとの談話会に参加する機会に恵まれました。

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク
目以外のなにかで、ものを見たことがありますか?

暗闇の中の対話。
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温。水の質感。
足元の葉と葉のこすれる枯れた音、その葉を踏みつぶす感触。
仲間の声、乾杯のグラスの音。
暗闇のあたたかさ。

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
暗闇のソーシャルエンターテインメントです。

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、
暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、
中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。

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  ダイアログ・イン・ザ・ダークOfficial Web Siteより引用
   http://www.dialoginthedark.com/did/

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この談話会への参加は応募抽選方式であり、その際に参加動機、参加における想い、を述べなければならなかったのですが、私は
「なにぶん、知識も経験もないので”こういうことが語りたい!”ということが言えないのですが、視覚の無い方が、どういう不都合を、恐怖を、喜びを感じるのか、ともかく体感してみたい。そのうえで感じたことを語りたい。」
と記しました。
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視覚の無い世界。
普段の生活の中で、暗く周囲が見えないシーンに出くわすことはあれど、全くの暗闇ということは中々無く、またそういうシチュエーションも比較的短い時間です。
ゆえに、視覚の無い世界とは、どんなに不便でどんなに恐怖で。。。とのマイナスイメージばかりが先行していました。
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さて1/22、談話会。ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、’DID’と略す)ジャパン代表である金井真介さんの「DID設立の想い」、そしてDIDジャパン理事であり設立からずっと関わってこられている志村季世恵さんの「DIDへかかわるきっかけ、続ける想い」、それからDIDアテンドであり視覚障害をお持ちの檜山晃さんと志村季世恵さんとの談話、という形で進んでいきました。
そして談話会の会場を暗闇にして、檜山晃さんから告げられる課題をもとに、参加者どおしでその課題に取り組む。課題は主に人と人との疎通。会場は会議室ゆえにスペース感も暗闇環境も、また時間的にも、簡易的なものでしたが、触感、聴感をたよりに必死に感覚疎通、意思疎通をしました。
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暗闇になった瞬間から、私たちは何も出来なくなる。
一方で視覚障害をお持ちの方は何もかわらず行動できる。
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私たちは普段の視覚のある生活の中で(色々なことが)「見えている」。
「見えている」ということは「見え過ごしてしまっている。」ことが多い。

視覚障害をお持ちの方は視覚に頼らない、他の感覚で(必要とすることを)「見ている」。
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この談話会を通じて、「視覚の無い世界」についての認識が変わりました!

「視覚が無い」のは「不都合」はあるけど「豊か」な部分もある。
決して不憫ではない。

「視覚が無い」のは「一つの個性」!
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元々、健常者/障害者 という言葉が、優/劣、上/下 を感じてしまい、とても嫌いな表現だ、という考えを持っていました。
そんな中、今回視覚の無い世界が体験できるということで「どういう不都合かを体感したい。」としてこの談話会に応募。
振り返ってみれば、「優/劣という感覚が嫌いだ」と言っている自分が、無意識の中で「視覚が無い」=「不憫」という捉え方、 優/劣 の捉え方をしていたのでは?!?!
自分という人間がとても嫌に感じました。
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「視覚が無い」のも「視覚がある」のも夫々「一つの個性」。
お互いが対等にいれるようになりたい。
関係者の皆様、貴重な機会に参加させていただき有難うございました!

DID。定置会場は東京外苑前と大阪にありますね♪
いつかその会場でしっかり体験したいと思います。
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<参考文献>
「まっくらな中での対話」
 http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2767902
 

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